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- 2010.11.11 Thursday
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- by スポンサードリンク
365日読書日和
著者フランクル氏は将来を嘱望された精神科医でしたが、
ユダヤ人であるがために強制収容所に入れられ、
研究論文もろともすべてを失いながら、収容所の解放まで生き抜いた人物です。
これは精神科医フランクル氏の強制収容所の体験手記です。
死の淵に追い詰められた人々の心の変化を、見事に、そして客観的に分析した記録です。
実際の体験者として「内側から見た」客観的な記録としては極めて珍しいものです。
客観的に書こうとするがゆえに余計に収容所での悲惨な状況が伝わります。
人は強制収容所では異常な精神状態になりますが、そのこと自体は実は正常な反応で、
典型的な感情の反応だそうです。フランクル氏は強制収容所に入れられた人間には、
三段階の心理過程が見られると言います。
第一は、収容直後の反応で過酷な現実に対するショック反応。
現実を否定し事態を楽観化する「恩赦妄想」があらわれます。
数日すると第二段階が始まります。感情が鈍痲し、精神の内面が徐々に失われていきます。
餓死した友人の死体が目の前にあっても、平気で食事ができるようになります。
殴られることも平気になります。
感情の消滅は人間が生き延びるために必要不可欠な自己保存メカニズムなのです。
精神生活は幼児のように退行し、性欲は全く消失、食べることだけが生きがいとなります。
しかし嫉妬心や劣等感、出世欲は消滅しないので、仲間を裏切り、
囚人を監視・虐待する支配者の手先になりたがるのです。
第三段階は、収容所から解放された段階で生じます。
精神の完全な虚脱が生じ、自分が自由であるという感覚を取り戻すのに時間がかかります。
ある者は精神的後遺症から逆に暴力による復讐に走ります。ある者は深い喪失感から立ち直れません。
少数の人間は、収容所に入れられてもなお人間としての尊厳を維持しました。
フランクル氏にとってそれは、生きることにそもそも意味があるとすれば
苦しむことにも意義があるはずだという強い信念でした。
「わたしたちが生きることから何かを期待するのではなく、むしろひたすら、
生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ。
もういいかげん生きることの意味を問うことをやめ、
私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。
ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題を果たす義務を引き受けることに他ならない。」
この一文に強く感銘を受けました。
生きることの意味を問うのではない。
生きることの意味を問われているのだと。
成毛眞氏が書評家として松岡正剛氏をかなり高く評価していたので手に取ってみました。
著者が1000冊の書評をまとめた「千夜千冊」(1〜7巻)をインタビュー形式で紹介していきます。
インタビューは「千夜千冊」の1〜7巻を流れに沿っていくつかキーになる本を取り上げながら進んでいきます。ジャンルは多岐に渡っています。というか科学、哲学、社会、経済、文学、芸能、歴史、政治、…恐らくほとんどの分野を網羅していると思います。
松岡正剛氏の本に関する知識が尋常ではないこと、そしてありとあらゆるジャンルについてご自身の得ている情報がきっちりと整理されていることに驚きを隠せません。
本書を読んでいくうちにわかりますが、松岡正剛氏の本の紹介の仕方が実に素晴らしいです。作者がどういった人物であったとか、書かれた時代背景であるとか、何を語ろうとしている本であるとか、とにかく紹介する本にまつわるエピソードなどで、読者に十二分ほどその本の魅力を語ってくれたりします。紹介された本が読みたくて読みたくて仕方がなくなるような。
読書の世界へのいざない方に感動すら覚えました。
地図を片手に旅に出るように、この本を片手に読書の世界へ益々のめり込んでいきそうです。
日本の伝統と文化の象徴である皇室。
時代の流れ、社会の動きに伴って少しずつ開かれ、マスコミ報道もされていますが、まだまだ我々一般人には知らないことも多いのが実情です。
本書では、「天皇と伊勢神宮の深い関係とは?」「皇族の女性も料理をされるのだろうか?」「プライベート・タイムの警護はどうなされているか」「天皇家の生活費はどのように支払われるのか」など、128の疑問を分かりやすく解説されています。
皇室が身近に感じられる入門書。